2014-03-31

平成25年度卒論題目

平成25年度近世ゼミの卒論題目一覧です。

松尾芭蕉『おくのほそ道』における尾花沢の句の解釈について
紀海音『八百やお七』と小野小町
『奥州安達原』の研究-”一つ家の段”について-
近世における実録文学の研究-「尼子十勇士」物-
『小説神髄』から見る近世・近代
小説近世初期浮世草子と西鶴
『父の恩』研究-歌舞伎役者の追善集として-
浮世絵に見る源氏物語-見立て絵を中心に-
幕末における士道観
『東雅』にあらわれる新井白石の国語観・国語研究観

2014-03-16

DVD「人形浄瑠璃文楽 名場面選集」

 文楽DVD、4月25日発売予定。
 
「人形浄瑠璃文楽 名場面選集-国立文楽劇場の30年」

(内容)
「寿式三番叟」(昭和59年4月)
「国言詢音頭」五人伐の段(昭和59年9月)
「芦屋道満大内鑑」保名物狂の段(昭和59年9月)
「伊賀越道中双六」沼津の段(昭和59年11月)
「桂川連理柵」帯屋の段(昭和60年11月)
「瓜子姫とあまんじゃく」(昭和61年8月)
「一谷嫩軍記」熊谷陣屋の段(昭和62年1月)
「近江源氏先陣館」盛綱陣屋の段(昭和62年11月)
「ひらかな盛衰記」神崎揚屋の段(昭和63年11月)
「新薄雪物語」園部兵衛屋敷の段(平成3年4月)
「夫婦善哉」(平成18年7・8月)
襲名・引退披露公演から

 「国立文楽劇場公演記録映像のダイジェスト」とのことで、一段丸々収録されていないのでしょうが、講義の教材に使えそうなので有難いです。名場面はもちろんのこと、「瓜子姫とあまんじゃく」や「夫婦善哉」などを映像でさっと紹介できると講義の幅が広がります。

2014-03-13

「誰が教えるか」

 最初の投稿がこれってどうかなと思うのですが、最初だからこそこれで。
 実は、数日前に関連するある夢を見ました。自分が意識している以上にこの問題が心にひっかかっているのです。

 以下は2014年3月12日Twitterに投稿したもの。一部字句を改めてます。

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 以前、「△◯をやりたい」という学生に「それなら◯◯についてもひと通り調べてね」と言った。が、成果物には◯◯に関する記載がほとんどなかった。「調べたけどあまり関係なかった」と思ったらしい。しかし、△◯やるなら◯◯を押さえるのは必要な手続き。
 当然のことながら、その成果物のその穴は他の研究者から厳しく指摘された。それは「加藤は何を指導してたのだ」という批判でもあり、その批判は甘んじて受けた。経緯はどうあれ、結果的に指導できてなかったことは事実なので。

 後から気づいた。「◯◯についてもひと通り調べてね」の一言で、△◯を論じるにはまず◯◯を押さえるという手続きが研究上必要(=作法)であるということは分かる(くらいの学問的訓練をすでに受けている)はず、と私が思っていた学生が、そうではなかったということ。

 研究者(卵含む)にはその段階的ポジションに応じて身につけていく技能や作法があり、周囲もそれを前提として対応する。しかし、必要な技能や作法を身につけないまま、上のポジションに進んでしまうこともままある。

 博論目前で研究を諦めて退学した人がいた。当人も指導教員もよく知っていて、なぜそんなことになったのか疑問に思っていた。後に指導教員とその話になり、「Xの技能がなかった」「えっ!」 立派な学歴で博士課程まできていて、その技能がなかったとは。
 指導教員は当人の過去の成果物や研究の着眼点が面白いことは認めていた。その技能なしでもできるテーマを選んで後期博士課程まで上がってきたのだろう。同じようにして博論を書くこともできたかもしれない。しかし、すぐに行き詰まるのは目に見えている。
 その技能がないと判明した時点で、博論は一旦棚上げにしてその技能を身につける(最低1年、博論レベルなら2~3年かかる)努力をする(させる)か、研究者の道を諦める(諦めさせる)か、どちらかの選択肢しかない。このケースでは後者が選ばれたということ。

 博論目前で研究者の道を諦めた当人も辛かっただろうが、断念させた指導教員も辛かっただろうなと思う。もっと早い段階で分かっていればと思う。技能や作法が不十分であることを見逃してはいけないと、指導に当たる学生についてはもちろん自分自身についてをも含めて、自戒。

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 以上がTwitterへ投稿したものです。

 私が指導している学生たちは研究者になるわけではありませんが、多くが小・中・高の教員や地方公務員・準公務員を目指しています。大半は出身地(地方)に戻って就職します。
 しっかりとした仕事をする大人になってほしいと切に思っています。

◇参考:5号館のつぶやき「研究の作法を誰が教えるか」