2015-03-29

平成26年度卒論題目

平成25年度近世ゼミの卒論題目一覧です。

『堪忍記』から見る近世の堪忍観
西鶴の描いた武士像の考察
『本朝二十不孝』巻五ノ二「八人の猩々講」についての考察
井原西鶴作品に見える五行と暦
『雨月物語』の怪異について
「平賀ぶり」についての一考察
『おくのほそ道』における登場人物の役割と構成
北枝と芭蕉

2014-04-27

サブカルから肉弾三勇士へ

 4月25日(金)の「近松の会」(発表者:川下俊文氏)で考えたこと。

 人形入りで演じられず、主に素人に語られる義太夫節作品をどう位置づけるか。これは同人誌作品的存在と捉えることができるのではないか。義太夫節作品の中で、古典作品がメインカルチャー・ハイカルチャーを形成していて、それに対するサブカルチャーとして生じてくる作品。

 時局ものは際物だから、同人誌作品的サブカルチャーの立ち位置で作られ始めるのは自然。発表者が指摘していた通り初期の時局ものにパロディとおぼしき作品が目立つのは、それゆえ。

 そうした作品が社会的・政治的にウケるとなると、プロも手がけるようになる。時局の進行もあり、サブカルからハイカルに昇格して、肉弾三勇士に至る。

 発表者の関心は時代思潮と文化というところにあるそうで、その視点からはこんなふうに流れを捉えることができるのではないか。

 以上、飲み会で投げかけてみたかったのですが、体調不良で参加できず残念。
 代わりにここにメモしておきます。

2014-04-21

組踊「大川敵討」

2014年4月20日(日)国立小劇場にて観劇。

国立劇場おきなわ開場十周年記念公演

 2月に沖縄で「大川敵討」を上演しており、ほぼ同じ配役での東京公演となる。 
 字幕付きの上演。

以下、パンフレットより。

・宮城能鳳「監修のことば」
 現在上演されている組踊のなかでは長編の傑作。
 台詞の唱え(「吟使い(じんじけー)」)、立ち居振る舞い、間に特色がある。

・大城學「琉球の芸能について-組踊を中心に-」
 冊封使接待のため踊奉行をもうけて対応
 1719年尚敬王の柵封儀礼の際に組踊を披露
 玉城朝薫(1684-1734)「朝薫の五番」
  「執心鐘入」「二童敵討」「銘苅子」「女物狂」「孝行の巻」
 朝薫の三男朝喜(1714-66)、田里朝直(1703-73)
 1834冊封使は組踊17番鑑賞の記録あり

 台本 琉球王国時代に仕立てられた七十数演目
 テーマ 儒教道徳の徳目である「忠」「孝」が中心
      これに王府が介入することが強調

・崎原綾乃「演目解説」
 「かぎやで風(かじゃでぃふう)」
  老人踊。琉球王府時代から、芸能公演の最初の演目としてよく踊られる。祝儀舞踊。
 「大川敵討(おおかわてぃちうち)」
  久手堅親雲上(くでけんべーちん)作とされる。確認できる最古の上演は1800年、尚温王の柵封使のために準備。
  
以下、演出メモ。

 すり足、能の構え。能より棒立ちの姿勢。
 歌、台詞に独特の抑揚。
 小道具は不要になると放り出し、黒衣役が回収。場面が変わる。
 立ちまわりは歌舞伎風。

 言葉は琉球語・本土語が混じる。

 「義理の道」が強調される。姑への孝。主への忠。
 子より姑が優先される。

 物語内容に比して上演時間が長い。


以下、つらつらと。

 冊封使の観覧に供するためにこのような作品が作られるというのが面白い。冊封使に琉球の言葉はどのくらい理解されたのか、「義理」が強調されるは双方共有の価値観なのか、冊封使向けにバイアがかかっているのか。

 冊封使接待のための踊奉行は日本や朝鮮、中国の芸能をどの程度知っていたのか。歌舞伎、舞踊、能などの影響をどの程度受けているのか。

 物語の展開を考えると、ストレートプレイなら90分で上演できそう。そこを正味2時間半かけて見せていきます。その2時間半が決して長く感じられません。ストーリーでなく歌・音楽・台詞の調子などの「表現」の面白さを楽しませることに成功している舞台です。
 逆に、確固たる様式を持たない現代演劇は意味内容を詰め込まないと時間が持たないと言えるのかもしれません。

2014-03-31

平成25年度卒論題目

平成25年度近世ゼミの卒論題目一覧です。

松尾芭蕉『おくのほそ道』における尾花沢の句の解釈について
紀海音『八百やお七』と小野小町
『奥州安達原』の研究-”一つ家の段”について-
近世における実録文学の研究-「尼子十勇士」物-
『小説神髄』から見る近世・近代
小説近世初期浮世草子と西鶴
『父の恩』研究-歌舞伎役者の追善集として-
浮世絵に見る源氏物語-見立て絵を中心に-
幕末における士道観
『東雅』にあらわれる新井白石の国語観・国語研究観

2014-03-16

DVD「人形浄瑠璃文楽 名場面選集」

 文楽DVD、4月25日発売予定。
 
「人形浄瑠璃文楽 名場面選集-国立文楽劇場の30年」

(内容)
「寿式三番叟」(昭和59年4月)
「国言詢音頭」五人伐の段(昭和59年9月)
「芦屋道満大内鑑」保名物狂の段(昭和59年9月)
「伊賀越道中双六」沼津の段(昭和59年11月)
「桂川連理柵」帯屋の段(昭和60年11月)
「瓜子姫とあまんじゃく」(昭和61年8月)
「一谷嫩軍記」熊谷陣屋の段(昭和62年1月)
「近江源氏先陣館」盛綱陣屋の段(昭和62年11月)
「ひらかな盛衰記」神崎揚屋の段(昭和63年11月)
「新薄雪物語」園部兵衛屋敷の段(平成3年4月)
「夫婦善哉」(平成18年7・8月)
襲名・引退披露公演から

 「国立文楽劇場公演記録映像のダイジェスト」とのことで、一段丸々収録されていないのでしょうが、講義の教材に使えそうなので有難いです。名場面はもちろんのこと、「瓜子姫とあまんじゃく」や「夫婦善哉」などを映像でさっと紹介できると講義の幅が広がります。

2014-03-13

「誰が教えるか」

 最初の投稿がこれってどうかなと思うのですが、最初だからこそこれで。
 実は、数日前に関連するある夢を見ました。自分が意識している以上にこの問題が心にひっかかっているのです。

 以下は2014年3月12日Twitterに投稿したもの。一部字句を改めてます。

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 以前、「△◯をやりたい」という学生に「それなら◯◯についてもひと通り調べてね」と言った。が、成果物には◯◯に関する記載がほとんどなかった。「調べたけどあまり関係なかった」と思ったらしい。しかし、△◯やるなら◯◯を押さえるのは必要な手続き。
 当然のことながら、その成果物のその穴は他の研究者から厳しく指摘された。それは「加藤は何を指導してたのだ」という批判でもあり、その批判は甘んじて受けた。経緯はどうあれ、結果的に指導できてなかったことは事実なので。

 後から気づいた。「◯◯についてもひと通り調べてね」の一言で、△◯を論じるにはまず◯◯を押さえるという手続きが研究上必要(=作法)であるということは分かる(くらいの学問的訓練をすでに受けている)はず、と私が思っていた学生が、そうではなかったということ。

 研究者(卵含む)にはその段階的ポジションに応じて身につけていく技能や作法があり、周囲もそれを前提として対応する。しかし、必要な技能や作法を身につけないまま、上のポジションに進んでしまうこともままある。

 博論目前で研究を諦めて退学した人がいた。当人も指導教員もよく知っていて、なぜそんなことになったのか疑問に思っていた。後に指導教員とその話になり、「Xの技能がなかった」「えっ!」 立派な学歴で博士課程まできていて、その技能がなかったとは。
 指導教員は当人の過去の成果物や研究の着眼点が面白いことは認めていた。その技能なしでもできるテーマを選んで後期博士課程まで上がってきたのだろう。同じようにして博論を書くこともできたかもしれない。しかし、すぐに行き詰まるのは目に見えている。
 その技能がないと判明した時点で、博論は一旦棚上げにしてその技能を身につける(最低1年、博論レベルなら2~3年かかる)努力をする(させる)か、研究者の道を諦める(諦めさせる)か、どちらかの選択肢しかない。このケースでは後者が選ばれたということ。

 博論目前で研究者の道を諦めた当人も辛かっただろうが、断念させた指導教員も辛かっただろうなと思う。もっと早い段階で分かっていればと思う。技能や作法が不十分であることを見逃してはいけないと、指導に当たる学生についてはもちろん自分自身についてをも含めて、自戒。

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 以上がTwitterへ投稿したものです。

 私が指導している学生たちは研究者になるわけではありませんが、多くが小・中・高の教員や地方公務員・準公務員を目指しています。大半は出身地(地方)に戻って就職します。
 しっかりとした仕事をする大人になってほしいと切に思っています。

◇参考:5号館のつぶやき「研究の作法を誰が教えるか」