4月25日(金)の「近松の会」(発表者:川下俊文氏)で考えたこと。
人形入りで演じられず、主に素人に語られる義太夫節作品をどう位置づけるか。これは同人誌作品的存在と捉えることができるのではないか。義太夫節作品の中で、古典作品がメインカルチャー・ハイカルチャーを形成していて、それに対するサブカルチャーとして生じてくる作品。
時局ものは際物だから、同人誌作品的サブカルチャーの立ち位置で作られ始めるのは自然。発表者が指摘していた通り初期の時局ものにパロディとおぼしき作品が目立つのは、それゆえ。
そうした作品が社会的・政治的にウケるとなると、プロも手がけるようになる。時局の進行もあり、サブカルからハイカルに昇格して、肉弾三勇士に至る。
発表者の関心は時代思潮と文化というところにあるそうで、その視点からはこんなふうに流れを捉えることができるのではないか。
以上、飲み会で投げかけてみたかったのですが、体調不良で参加できず残念。
代わりにここにメモしておきます。
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